「エンドレス・エンドレス・エイト」
それは永遠に続く物語だったのかも知れない。
終わりを望まない彼女の願望。
それはいつか必ず来るだろう、わたしたちとの別れの時を、
無意識の内に回避しようとする、その為の行為だったのかも知れない。
もちろん。
その真実を知っているのは彼女だけだったのだろうと、今では思う。
今では…
―あるヒューマノイド・インターフェイスの述懐―
少なくとも、わたしがこの永遠に回帰していく時間の中で、
彼らと共に過ごした時間が無為のものだったとは思っていない。
彼らはわたしに様々なものを感じさせ、教えてくれていた。
特に、涼宮ハルヒと彼は。
ある時、彼女はこんな事を話していた。
「ねえ、わたし思うのよね。SOS団のみんなと過ごす、
こんな楽しい夏休みがいつまでもいつまでも続けば良いのにって」
彼女の、この言葉にその場の全員が凍りついた反応を示す。
いつまでも続く、夏休み。それは現実のものだったから。
「お正月とかにお願いするときは神社でしょ? 七夕は織姫や彦星に短冊を飾ったし!
でも、七夕は願いがかなうのに時間がかかり過ぎるわね」
あの七夕の話をする時、古泉一樹以外のふたり。
つまり彼と朝比奈みくるの反応に変化が必ず見られる。
わたしは無反応。
「だから考えたの。アインシュタインの爺さんの脳って保管されてるんでしょ?
じゃあ、これぐらいの願い叶えてくれるわよね」
「…なんでアインシュタインなんだ? そもそもアインシュタインは
学者であって神でも仏でも、ましてやキリストでもないぞ」
彼の言葉には、表情以上の疲労の成分が含まれていた、ように思う。
「時間移動よ時間移動! もちろん、それ自体をアインシュタインが
考えた訳じゃないけどね。でも、今ある時間移動の基本原理は
相対性理論からきてるのよ」
「さっぱり、わからん」
「他にも、ゲーテの詩集を読んでたら出てきた運命の三女神。知ってる?」
「誰だ?」
「人の寿命とか運命を決めちゃう女神なんだけど、美人じゃなくて
おばあちゃんなのよ。ちょっとこれは許せないと思ったの。
その女神を考えたギリシア神話に遺憾を覚えるわ」
「いや、そんなことはどうでも良い。で、結局どうしたんだ?」
「女神の方はお願いしようがないけど、とりあえず天気も良かったし
星空を見ながら考えたわ」
「ほう、その考えを聞いてやろう」
「昔から人はそういう存在がいるって、漠然と考えていたって事。
神話が生まれるような昔からよ。アインシュタインの考えだって、
そんな昔の人たちの考えている事を具体的に提示しただけとも言えるわよね」
「それで」
「という事はよ。いるのかも知れないってこと」
「何がだ」
「そういう便利な存在が、よ。よくあるじゃない。
宇宙服着てるような人形が発見されたとか、ジェット機を見たとしか
思えないようなオブジェが発掘されたとか」
「ああ。つまり、そういった実物を昔の人が見た時に、
そのように模して造ったのではないか、という事でしょうか。
竹取物語なんかも、実はあれは宇宙人とのファスートコンタクトもの、
という説もありますよね」
「さすが古泉くん。そう。それよ」
「だから、何なんだ」
いらつく彼の態度。まだ解らないのか、というような涼宮ハルヒ。
「だから。そんな昔の人が、そういう時間を管理するような存在がいるって
漠然と感じてたって事じゃないの」
全員が静まりかえる。わたしも含めて。
まさか。
「いたらいいと思わない? そしたら、そういう神様だか何だか知らないけど、
そういうのにお願いして、ずっと夏休みが続くようにお願いするのよ!」
これら一連の会話でもわかるように、涼宮ハルヒの願望がこの環境を
作り出した事は間違いなかった。
しかし、時間も空間も超越した存在である統合思念体であればこそ、
この異常空間を「外部」から観測し、連続性を持たせたまま把握し続ける事が
できる訳なのだが、それすらもなければ、失われていった
「涼宮ハルヒも含めた彼らの時間」は本当に無に帰す事になる。
誰かが覚えていなければ、この繰り返す時間に何の意味があるというのだろう。
原因たる涼宮ハルヒ当人も知覚しないこの環境に、どういった意味が。
今のわたしでは理解し得ない。
なぜ、彼女がこんな状況を作り出したのか。
とにかく、この状況からの脱出は急務といえる。
これ以上、彼らの消えていく様を見続けるだけの状態には、わたし自身が耐えられない。
なぜ、耐えられなくなっているのかは不明のまま。
わたし自身が変質しているという事なのかも知れない。
7,000回以上に渡るこの夏を経験していくうちに得た、何かがわたしを突き動かす。
自分自身に何が起こっているのか、それが解析できない。
監視者の立場を忘れてこんな行動を自ら起こすなんて。
どうかしている、とは思うのだが。
妨害は苛烈を極めた。
統合思念体も把握しない、また広域帯宇宙存在とも違う、謎の存在。
時の監視者。時空監察官と呼称される、まったく未知のもの。
それが我々の行く手を阻む。
その脅威に対抗しつつ、手がかりを求めて繰り返される時間をわたしたちは巡り歩く。
彼らの失われた記憶は、わたしが補完する。
失敗は当然のようにあった。何度も、何度も。失われる記憶。消えてしまう彼らとの時間。
空しくなるような感覚に捕らわれながらも、しかし、断念などしなかった。
それと同時に思考は続けられている。涼宮ハルヒが求めるもの。それがどういったものなのか。
あなたは何を求めているのだろう。
直接尋ねたところで回答はないのかも知れないけれど、でも、それを知りたい。
そこにこそ、脱出の為の示唆が含まれているような、そんな予感がする。
十数回の周回を続けての夕刻。ついにわたしたちはここまで辿りついた。
SOS団部室に今、この時だけ解放される時空間の狭間に存在する扉。
「…ここに来るのは初めてなんだな、長門」
「そう」
わたしは彼の質問に答える。
「実はすでに100回くらい挑戦して、全部撃退されたとか、そういうオチでなくて良かったよな」
「撃退される可能性は無視できない」
冷静に事実を告げる。
「なぜなら、相手は完全に未知の存在だから」
わたしだけで突入するべきだったかも知れない。
これまでに得た構成情報から、戦闘に役立ち得るものを作り出して彼らに与えてはいたが、
それでもヒトという存在には変わりはない。古泉一樹は別格としても。
しかし、彼らの協力がなければここまで来れなかったのは確かだった。
部室の中心点にゲートが開放される。情報の流出はこの時点で行われるようだ。
「この時間を逃せば突入は不可能、という事でしょうか」
「そう」
古泉一樹の言葉にわたしは同意する。
「この空間に、再び時間を再ループさせるに足る情報因子を放出している。
朝倉涼子が取り込んだという情報もその残滓」
夕暮れの教室で再開した、彼女。
この時間の中に再構成された、幻のような姿。
その彼女が、ここへのヒントを与えてくれた。
「あのー… ヒトがこのまま入っても大丈夫なんでしょうか」
朝比奈みくるの声には不安の成分が多く含まれている。
「明らかに、今までの情報制御空間とは違うような…」
「だいじょうぶ」
わたしは推測した結論を口に出す。
「この中にいる存在が、わたしたちの到来を待っているから」
「どういう事だよ」
彼は緊張した様子を隠していない。
「わざわざ、敵になる俺たちを呼んでるっていうのか」
「その可能性は高い」
「なぜ、それが解る」
「中の存在は、わたしと極めて近いものと判断できる」
あくまで推論にしか過ぎないが、確信ともとれる感覚がわたしにはあった。
「…時空監察官。わたしたちと接触を取りたいと考えているのかも知れない」
異質な存在。だが、これまでの不自然な行動。
わたしたちとの接触を望んでいる。そんな気がしている。
ドローンと呼ばれる自律作業端末。これらの妨害を乗り越え、
ついに時空監察官の部屋へと突入。
中には奇妙な装飾に満ちた、書斎のような大きな部屋。
時計の音が遠くから聞こえる。柱時計か。
「…ずいぶんといい趣味してるな」
息を切らせた彼の評価は大きな意味で間違いではない。
これは、趣味。というべき。
誰かのイメージによって構築されている。
つまり涼宮ハルヒの潜在意識、そのもの。
時間を操る存在、というイメージが具現化している。
部屋の中央に立っているのは、我々と姿があまり変わらない人の姿。男性。
部屋の一面を仕切っている窓ガラスの向こうには、
情報制御空間によく発生する異空間の情景。
そちらに向いていた男がゆっくりとこちらの方を向く。
「意外と早かった、というべきかな。厳密には遅い、早いという意味はないのだが」
「おまえが諸悪の根源か」
彼はおもむろに「強化バット」を振りかぶる。
「さっさと時間を元どおりにしろ。俺たちはここから先に進みたいんだ」
「ここから?」
時空監察官の笑い声は低い。
「どうして先に進む必要があるのか、理解しているのか」
「どういう意味だ」
「このまま行けば、君たちは寿命を迎える。
有機生命体にはありがちというべきか、必然の現象だ」
「…そんなの、あたりまえじゃねぇか」
「死にたいのかね。いずれ必ず訪れるそれを受け入れることが、本当にできるのか」
「今、言われて、はいそうですね、と答えられるやつがいるか」
「このままでいれば、永遠の時を生きられる。
それはヒトが本能的に求めるものではないのかな。永遠の命という」
「それに意味を見出せるでしょうか」
古泉一樹は言った。
「少なくとも、僕はその意見には賛同しかねます。
未来のないただ繰り返されるだけの日々に価値はない」
「では何に価値を見出すのかね。ヒトという存在は。それが知りたい」
「未来を創造することですよ」
「創造? それがヒトの本当の望みなのか」
時空監察官の表情が変わる。意外だというように。
「そんな大仰な、大それたことを、ただの有機体が言うのか。もっと別の理由ではないのか」
「大それたことなんかじゃありません」
珍しく昂ぶったような、朝比奈みくるの声。
「今から繋がる未来は… わたしたちの時代は…」
うまく言葉に出来ないらしい。
ひょっとしたら、禁則に触れる言葉なのかも知れない。
だが、実際に「今は失われている未来」から来た本人が抱いている気持ちは、伝わる。
「大それたことかどうかは、わたしたちの行動が証明する」
わたしは冷静に告げる。
「あなたの仕事は、ここで終わり」
「行くぞ、みんな!! 古泉! 朝比奈さん!」
彼の言葉。そして最後の確認をするかのように、わたしへ。
「…いいな、長門」
「もちろん」
わたしは同意する。
「あなたたちの、未来なのだから」
戦闘が終わる。
「…わたしが、こうして生み出されたのは、彼女の願いだった」
時空監察官が少しずつ崩壊していく。
「だが、これでいいのかも知れない。自然のことわりを、
捻じ曲げるのはやはり正しいことではないようだからな」
「…おまえ」
彼が消え去りゆく存在に声をかける。
だが監察官は何か満足したような表情を浮かべていた。
「彼女を悪く思うな。彼女は自身の力の本質を知らないままでいるだけなのだから」
「…彼女は、涼宮さんは何を願ってあなたを生み出したんですか?」
朝比奈みくるの声が小さく響く。
「なぜ、こんな事を」
「それは彼女に直接訊くといいだろう」
崩壊が進んでいく。光り輝く粒子の粒がわたしたちの周囲を舞う。
「一時でも、わたしという存在がここにいたという事実。
わたしはそれだけでいい。だが、あなたたちは違う」
消え去りゆく、最後にその存在は、確かに微笑んだ。
「自分たちに与えられた未来を、彼女と共に歩むといい」
「………」
「本当は」
“彼女”は言った。
「…この仮初めの生命を続けたかったのは、
わたし自身の願いだったのかも知れないな」
そして消え去った瞬間に、世界は再構成の為の準備期間へと移行した。
闇の中へ。
薄く、途切れがちな感覚が、ゆっくりと回復していく。
最初に見えたのは、彼女。涼宮ハルヒがいる。
深い暗闇の向こうに、ひとりでいる。
「…あれ? 有希?」
呆然としていた、その彼女が振り返る。
「ここ、どこ? どうしてこんな所に?」
夢を見ているような、そんな彼女にわたしは近づく。
今を事実として認識していない。
これは彼女にとって夢そのものにしか感じられないのだろう。
「…夢、なのかな」
終わらない。いつまでも終わることのない、夏の日々。まるで夢のよう。
今まで、その渦中にいた。だから、確かにそう表現できるのかも。
「ずいぶん広い場所ね」
取り乱すような様子はいっさいない。
ここは彼女の深層意識が混在している空間なのかも知れない。
「他に誰もいないの? あいつは? みくるちゃんや古泉くんは?」
「今は、いない」
どこかに飛ばされているのか。それとも、それぞれが別の彼女に会っているのか。
はっきりとは解らない。
今は時間の連続性を再生する為に、一時的に時空間が混乱し、停滞している。
ここはどこからも観測できない、時間の狭間にひと時だけ設けられた
待機所のようなものなのだろう。
わたしは、きょろきょろと周囲を見渡している彼女のそばでそんな事を考え、
やがて、ずっと疑問に思っていたことを、そっと尋ねてみる。
「あなたは何を望んでいたの」
「…何って」
わたしの言葉に振り向く。
「あなたは、何かを考えていたはず。それを、教えて」
その言葉に彼女は考え込む素振り。
しばらくしてから、何かを確かめるように言った。
「…一緒に、いたかった。みんなと」
うなずいて、わたしを見つめる。
「うん。そうね。キョンや古泉くん、みくるちゃん… そしてあなたと。
いつまでもずっと… 一緒にいたかった」
「わたしたちは、いつでもそばにいる」
わたしはその大きな瞳に告げる。
「何も心配はいらない」
「そう?」
少しだけ、寂しそうな表情に変化する。
「本当に? そう?」
「何が不安なの」
「わたしたちは、いつまでもこのままではいられない。
いつか時間が経てば、別れの時は必ず来る」
「…いつか?」
「わたしたちは、今は学校の、SOS団という場所がある。
そこで過ごすいつもの日常。でも、そんな時間はいつか終わりの時が必ずくる」
「………」
「学校も卒業すれば、進路もばらばらになる。きっと。
みくるちゃんは1年上なんだから、わたしたちよりも早くこの学校からいなくなってしまう」
それは確かにそうだろう。でも、それがヒトの社会というもの。
人生と呼ばれる、個々の係わり合いの仕組み。
「古泉くんは頭もいいし、きっといい大学に進むと思うわ。
でもわたしと同じ方向に進むとは思えない」
「………」
「特に… あのバカキョンは、絶対に進学に苦労する。わたしと同じレベルの大学なんてまず無理。
勉強してないんだもの。浪人するわね、あのままじゃ」
ずいぶんな言われようだとは思う。
でもそれは事実でもあったから、わたしは否定できなかった。
「それは、理解できる。しかし」
わたしの言葉は、今の彼女には聞こえていないかのよう。
うつむいたまま、つぶやく。
「…だから。不安だった。この楽しい時間も、いつか終わりが来るって感じ始めた時から。
当たり前のことなのに」
彼女は今まで見たこともない表情を浮かべた。
ひょっとして、彼にだけは見せていたかも知れない、そんな表情。
寂しげで、不安そうな、孤独を感じさせるもの。
「…わたしはずっとひとりでいると感じていた。小学校の時の、あの野球場を見た時から。
わたしのそんな思いを理解して、受け入れてくれる人はいなかった。両親ですら、そうだった」
「………」
「中学の時も、高校に入学した後も、ずっとそれは変わらなかった… 何年もひとりのまま」
そこで彼女は明確な意思を込めて、言った。
「”あいつ”に会うまでは」
彼、のこと。
胸に痛みが走るような、そんな感覚。
「そしてあなたと出逢った」
わたしを見る。
「みくるちゃんとも出逢えた。古泉くんも来てくれた。嘘みたいに楽しい日々が始まった」
「………」
「それが終わってしまうなんて、信じられない。手放したくないのに。絶対」
涼宮ハルヒの心理傾向について、ここまで明確に把握できたのは初めての事だったと感じる。
そんなにも、わたしたちとの事を大切に感じてくれていた、という事。
そして、その後に続く言葉は、ある意味、もっとも衝撃を伴ったものだった。
「…それと、有希のこと」
「…わたし?」
意表を突かれる。わたしのこと?
「あなたの事は… よく解らない。何か、他の人とは違うような… そんな気がしていた」
まさか。わたしは愕然とする。
何を感じていたの。わたしに。
「初めて文芸部の部室で出逢った。部室だけもらえれば、それでいい、と思っていた」
「………」
「あなたはひとりで、あの窓辺で本を読んでいた。まるで…
何年も前から、ずっとそうだったみたいに」
マンションでの孤独な待機時間。3年に渡る、その時間。まるで見透かされたよう。
「こう言ったら怒るかも知れない。でもわたしは、感じた… なんて可哀想なんだろう、って」
可哀想。わたしが?
「そう。何も知らないで、ただ何かの為だけにそこにいる。そんな感じがしていた」
彼女がわたしの手を取る。
「無口で、何を感じているのかも解らない。そんなあなたが気になった」
「わたしを…」
「…キョンの事、好きなんでしょ」
絶句する。
突然、何を。
「あなたの視線が、たまにあいつに向けられるときがある」
意識していない。そうなのだろうか。本当に?
「…どういう意味のものかははっきりしてないんだけどね。なんとなくそんな事を思ってた」
好き。わたしが抱く… 感情? そんな事は、あり得ない。
…朝倉涼子も、同じような事を言っていたが。
だが、わたしはそのようには造られていない。そのはず。
彼女は笑う。
「でもね。本当に少しずつだけど、そんな風に変わっていくあなたを見て…
複雑な気持ちだったけど、それが嬉しかった」
「…変わっていく」
変質するわたしという存在。彼女の願望。
…わたしの今の変化は、まさか。
彼女が望んだものだというの。
「そっか… そうだよね」
ひとりで何かを悟ったかのような言葉だった。
「変わっていくんだよね。人は、いつまでも前のままじゃ、いられないんだよね」
吹っ切ったような、晴れ晴れとした表情。
「わたしも変わっていった。わたしを、わたしのままで受け入れてくれる人たちと出逢えた。
そして、あなたも」
わたしも?
「変わっていく。変化を恐れてちゃいけない。そうなのよね」
彼女の後ろから、光が差し込む。
―いつか、別れの時は来るだろう。
「あなたが、あいつの事をどう思っているのかは、本当のことはわからない」
―それは、出逢った時から決められている事なのかも知れない。
「でも、あなたがそれで変わっていくのは、とても素敵な事だと思う」
―でも。ヒトはそれを乗り越えていく勇気を持つもの。
「行こう、有希」
彼女がわたしを導く。光の中へ。
―だから、とわたしは思う。
いつかは来るという、どんな形で訪れるかわからない、その時まで。
彼らと共に歩みたい、と。
何が待っているのか、わからない。
でもそれはきっと、素晴らしいものへ変えていけるのだという、未来へ。
マンションでわたしは9月1日の時を迎える。
長い、長い2週間の時を経て。ようやくこの時にたどり着いた。
手を見つめてみる。
彼女が握った、その手。暖かい温もりがまだ残っている。そんな感じがする。
『行こう、有希』
そう言って微笑んだ、彼女。
わたしが変わっていく事を望んでくれた。
今の状況を動かしたくない、というその恐れを、その事で振り払ってくれた。
体の中に暖かいものを感じる。
生きていく、という事。
それを実感していた。
9月2日。ようやく学校に行く。
「昨日はどうしてた。休むなんて珍しい」
彼が言う。
「…少し、疲れたのかも知れない」
事実、そうだった。再調整に時間は欲しいと感じていた。
何より、最後にあった、あの出来事を振り返る時間が欲しかった。
結局、1日かけても理解はできないものだったけど。
「しかし、なんであいつは最後に女の子の姿だったんだ?」
「…わからない。でも、あなたたち有機生命体の言葉を借りるなら、誰かに愛されたかったのかもしれない」
「愛されたい?」
「…自分でもわからない。けどそう感じた」
「…そうか」
そして最後まで人として産まれてくることを望んだ結果かもしれない。
でも、それは私には理解できないこと。
「わたしは変わった?」
唐突な言葉に彼は驚いたよう。
「なんだ、急に」
「………」
じっと見つめる。
彼が何かを読み取ろうとしてくれている。いつもそう。
言葉がうまく操れないわたしに、彼は何かを感じてくれようと配慮してくれている。
「…最初に会った頃に比べれば」
彼はゆっくりと言葉を選ぶ。
「おまえが何を考えているのかは、少しはわかるような気がするんだが」
「では、今は?」
「今は…」
『キョンの事、好きなんでしょ』
彼女の言葉が蘇る。
本当にそうだろうか。
彼を守りたい、という気持ちはある。
完全に本来の任務からは逸脱… してはいないのかも知れないが、それは確かにあった。
それが、好き、という言葉の概念に直結するものなのだろうか。
本当に、そうなのだろうか。
「おまえ…」
「やっほーっ!!」
勢いよく開かれる扉の音。涼宮ハルヒの入室により、
室内の微妙な空気は一瞬にしていつものそれに変容してしまう。
「あら… 有希、昨日はどうしたの?」
わたしに声をかける彼女。
「心配したわよ。今まで休みなんて一度もなかったから」
本気でそのように心配してくれている。今ではそれがはっきりと解る。
あなたの想い。それに直に触れることができたから。
「…どうしたのよ、キョン」
「な、何が」
「そのうろたえっぷりの事よ。何か有希に変な事、しようとしてたんじゃないでしょうね」
「アホか。いやアホだ、おまえは」
「なんですって? キョンのくせに生意気なのよ!」
「どこのジャイアンなんだよ、おまえは!」
その後に続く、いつもの口げんか。
わたしはその場で再び本に目を戻す。
いつもの日常。
「どうも、遅くなりまして… おやおや」
「あのー… ああ、涼宮さん、それじゃキョンくんが窒息しちゃいますよぅ」
ようやく訪れた古泉一樹と、朝比奈みくるがいつもの対応。
変わらない日常。
でも、確実に一歩進んでいるという事実。
わたしたちは繰り返していくのだろう。
いつか、別れの時が訪れる、その時まで。
でも、それはきっと意味のある未来なのだから。
―終―